<< 百歳の歌人 | main | 花に酔い >>

スポンサーサイト

  • 2017.04.24 Monday
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

一定期間更新がないため広告を表示しています


『俳句の海に潜る』を読む

 正月明けから思想家で人類学者の中沢新一さんと俳人の小澤實さんの対談集『俳句の海に潜る』をなんとか読み終えた。以前、2008年3月頃、中沢さんの著書『アースダイバー』を読んでいたので、今回も親しんで読みすすめることができた。今回とくに興味を感じたのは、「俳句のアニミズム」という点であった。このことについて少し感想を書いてみたい。次の句はよく知られている芭蕉の「おくのほそ道」の立石寺での句である。
 
  閑(しづか)さや岩にしみ入る蟬の声    松尾芭蕉

 中沢さんは、次のように解説されている。
 「この句はまさにアニミズムの極致でしょう。<岩にしみいる蟬の声>と言うとき、蟬を流れるスピリットと、岩を流れるスピリットが、相互貫入を起こして染み込み合っています。それが<閑さや>というわけです。(中略)人間の体という容器から外に出てきたばかりの霊たちが、いっぱい群れ集まっている。そういうところに、土中から出てきたばかりの蟬が鳴くのです。そこには土中から立ち上がってきた岩もある。大地、岩、蟬、死者霊、それらすべてが相互貫入しあう世界。芭蕉は全感覚を開いてその全体運動を感知しています。そして、この俳句が生まれた。これはとても凄まじいアニミズム俳句です。」
 わたしはここまで読んで、短歌の分野ではアニミズムはどんな捉え方がされているのかを考えてみた。わたしがアニミズムに興味を持ち始めたのは、1999年(平成11)1月1日の「秋田魁新報」の「世紀を詠む」欄の、筆者、歌人の佐佐木幸綱さんの文章を読んだ頃のように思える。ここに、その文章の一部を紹介する。

 「 春の魚うっとり抱かれ朝靄に川のアニマの歌声ひびく  佐佐木幸綱

 私たちの内部には、古代以来のアニミズムの感覚が、かすかながら残っているのだろう。アニミズムとは、、太陽や、山や川、樹木等自然界のあらゆる事物は、固有の性霊(アニマ)をもつ霊的存在とみる見方である。
 日の出には太陽にあいさつする。山や川とともにうたい、樹木と友達になる。そういう自然とのつきあい方がアニミズムである。」

 今回この一冊を読み終えて、あらためて芭蕉の「おくのほそ道」の偉大さを強く感じた。再読再読、「おくのほそ道」を歩きたい。


スポンサーサイト

  • 2017.04.24 Monday
  • -
  • 17:25
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

コメント
お父さん、久々のブログですね。永田耕衣の句もアニミズムを深く体現したものだと思います。耕衣は季語について、こういっています。 「ものの思いを蓄える世界は霊としてある。季霊という言葉は私が初めて言ったらしいが、季節を言うならば季霊も言うべきである。季語はわかりすぎる世界であって、霊ということを入れておかないと本当のことは出てこない。無機物のことも出てこない」。季語にかぎらず、言葉を言霊というのも、アニミズムとかかわりがありますね。風花が小澤實ファン、私が中沢ファン、お父さんでうまいことつながりました。じゃあね。
  • 陽子
  • 2017/01/29 10:33 PM
コメントする









calendar
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< August 2017 >>
sponsored links
selected entries
categories
archives
recent comment
recommend
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM